約3~4日ぶりのブログ更新となってしまいました。
予め、毎日ブログ更新はお休みすると書いたのですが、やはり書きたいネタそのものはあるのです。
といっても、今回の記事ですが、人生って令和になってもクソなままですし、生きづらさそのものは継続しているなあということですね。
まあ、連日、死にたいとか、頭痛いとか、飯食うのもだるいとか言っている時点でお察しではありますが...
まあ、元号が変わったからと言って、生きにくさの解消には根本的に関係はありませんな。
目次
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とはいっても、生きていかないといけないのです
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来週、カウンセリングを受けるので、そこから何か動けばよいなあ
とはいっても、生きていかないといけないのです
連日のように、人生ってクソだな~とか、死にたいとか希死念慮があったところで死ねないんですよねえ。
死ぬのは怖いのは確かですし。
かと言って、今後、数十年、
- 80まで生きるなら約50年
- 60までだとしても約30年
- ましてや、人生百年時代という煽りを真に受ければ、後70年
うん、長くねえか...
上記のような年月生きないといけないのもムチャクチャ怖いです。
年を重ねると、自分でもなんとなくわかるんですよねえ。肉体的にも精神的にも弱体化しているのが。
特に、精神的には、一度過呼吸という爆弾を抱えていて、完治していません。怒られたり、厳しい人といると過呼吸になったり、そこまで行かなくても呼吸がハアーハアーいって荒くなることも珍しくないです。
後、涙目になることもね。
過呼吸となると、手足もしびれるわ、人によってはイラついて怒ってくるわ、余計問い詰めてくるわで、ならないで良いならそれに越したことありませんしね。
職場から呼び出されて、個室で面談までしたこともあるので。
個室で面談って、呼吸荒くなりますわ。
年を重ねれば、
- 出来ないといけないこと
- これくらいできて当然だろとか
- リーダー出来ないといけないとか
- 年相応に果たすべき責任があるとか
そんなプレッシャーが否応なしに襲い掛かってくるのです。精神的には弱体化しているはずなのに。
そんな中で、あと数十年間生きないといけないとか嫌すぎますし。産まれなければ、そんなこと考えないですんだのに、ハイクソー!!!
どんなに楽しいことがあっても、嫌なことがあればそのプラス要素はチャラになるような性格の場合、生きるの嫌になりますからねえ。(まあ、そうでなくても生きるのが嫌になる要素がありすぎますが)
安楽死制度がないわ、海外でやるにしてもそう簡単にできる代物ではないので、やはり生きていくしかないんですよねえ。
幸せになるための行動をするエネルギーがなければ、せめて楽になれる努力をしないといけないわけですし。
来週、カウンセリングを受けるので、そこから何か動けばよいなあ
今通っている心療内科の指示にて、カウンセリングを受けることになったんですよねえ。
怒られるとパニックになる、人が怖いなどの話をすると、薬ではどうしようもないかもしれなから、カウンセリングをやってみようということになったのです。
場所によっては、薬を増やされる可能性があるとのことだったので、それよりかは良心的なのかなと。
カウンセリングもカウンセリングで、洗脳まがいのことをしでかす輩もいないわけではないので、要注意ではありますが。
そうなったら、カウンセラーを心療内科の先生に行って変えてもらうとしますかね。といっても、その時になってみると分からなくなっているのか怖い所です。
第三者目線ではわかっていても、精神的に弱っていると、当事者は冷静な判断ができなくなるので...
職場などの雑談が洩れているのを聞いてみると、オーバーにいって、鬱診断してもらって、診断書貰って、休職をしている人もいるケースもあるそうです。
それくらいハッタリかませるくらいじゃないと、このクソで残酷な社会を生き抜くのは厳しいですからねえ。
といっても、当事者ではないので、詳しいことはわからないのですが。実際は、ムチャクチャ病んでいる可能性もあるわけですし。
もしかしたら、私もカウンセリングを受け続けて、鬱のテストをやらされて診断を下されることもあるでしょう。そうしたら、その結果をうまく利用してやり過ごすしかないですね。
まだ、カウンセリングを受け始めてすらいないので、現時点では捕らぬ狸の皮算用でしかないのですが。