なぜ生きにくさを感じているコミュニティに惹かれるのか

先日の、下記のばなうたさんでも話題に上がったのですが、何故生きにくさを感じている人のコミュニティに惹かれるのかを考えてみようかなと。

「秋だ!新しい知り合いを作ろう! 初参加歓迎!友活トーク会」へ参加してきました

目次

  1. 普段、自分の気持ちを開示できていない

  2. 私個人としてはどうなのか

  3. やっぱりこういう環境は必要だ

普段、自分の気持ちを開示できていない

単純に上記の項目の内容が理由なんですよね。

  • 生きるのが辛い
  • 働きたくない
  • 将来の目標なんていない
  • 産まれないことが幸せ
  • 会社の人と飲みに行くなんて不毛

とか言えるわけがないですからねえ。

「お前何言ってんの」くらいで済めば、まだ良いですよ。その環境に居づらくなったり、孤立する方が可能性高いわけですし。

孤立して、味方だと思っていた人が敵に回ることもないとも言えないのが怖いのです。

普段、自分の気持ちを開示できない人って、たいていのコミュニティでは少数派に属することになってしまうのです。(むろん、私もその一人です)

自分自身の存在価値を見出せなくて、承認欲求が欲しくて興味のないことに無理に付き合って、疲弊してしまうんですよね。まあ、背伸びして付き合ったところで、いつかはボロが出るなり、短い付き合いになるんでしょうが。

周りの人からどう思われているかは別として、自分自身の存在価値がないと思っていることから、今いる組織に依存してしまうのです。

仮に価値観が合う人たちの集まりだとしても、ちょっとした考えの違いで、自分自身そのものを否定されたと思い込んでしまいます。だから、集団の中ではやっていけないし、自分の気持ちを開示したらロクなことにならないと思込みます。

私個人としてはどうなのか

私自身も自分の気持ちを開示できなかったり、ちょっとした考えの違いが発生して嫌われると思い込むとか、自分自身を否定されたと感じてしまいます。

最初はうまくやっていけそうに見えても、揉めたりとか、付き合いそのものが面倒になって、人間関係のフェードアウトをよくやりますねえ。

どんなに価値観の合う人とでも、月に2,3回顔を出すくらいの関係の方がちょうど良いのかもです。価値観合う人とでも、共同生活とかやったら確実にもめる自信があります。(自信とは言わんわ)

やっぱり、会社に属したり家族を作るのには適性は皆無だなと思うのです。

  • 人に合わせるのが苦手
  • 空気読めない
  • ちょっと否定されると、言い方がきつくなる
  • そんでもって嫌われる
  • 自分の考えと違う考えを言われると否定する

改めて思うと、人に嫌われる要素ばっかじゃねえか

そんな人間が、会社や家族とかの付き合い上手くできませんわ。会社の人間関係なんて、特に。集まりたくて集まっているわけじゃないですしね。

会社なんて、基本的に食うか食われるか、殺すか殺されるかの関係ですし。心配する理由も、組織のためにすぎませんからね。

いざくたばったところで、組織からすれば替わりが利きますし。どうせね。

そんな環境じゃ、価値観ありきの関係なんでできやしませんわ。やっぱり、自分の気持ちを開示するとロクなことになりそうもないっすね。

やっぱりこういう環境は必要だ

生きている以上、基本的に1人じゃ何も出来ないんですよね。何だかんだで。

残酷ではありますが!!!

少数派だと思っている人、普段、所属しているコミュニティに適応できない人が集まれる環境って必要なんですよね。

特に、自分自身がやりたいこともなく、やれることなんてないと感じている人の場合。

それこそ、集団になじめなければ即死出来るなら良いんでしょうが...

  • 金がない
  • 職もない
  • 特技もない
  • 人とうまくやれない

という場合でも死なせてもらえませんからねえ。そういう人が集まれる環境があれば、無敵の人は減るのかなあと思うのです。

無敵の人も、自分自身の気持ちを適当な形で開示できていれば、どうにかやれたかもしれません。逆に、私などのように、上手く人や組織で上手くやっていけない人は、いつ無敵の人なるか、引きこもりになってしまうかわからないんですよね。

やっぱり、世の中捨てたもんじゃないとか思えないですねえ。むしろ、死んだ方がマシなんじゃないかというくらい残酷です。

社会で上手くやっていけない環境ですらトラブルはありますし、ちょっとした考えの違いで人に不信感を抱いてしまいますしね。

それでも死ねるわけじゃないので、どうにか折り合いをつけてやっていくしかないんでしょうなあ。