「褒められて伸びる」か「叱られて伸びる」か話題に上がることが多いですね。
その中の「褒められて伸びる」というケースは、正確には「叱られると伸びない」、更に厳密にいうと「叱られると潰れる」という方が当たっているのではと感じます。
目次
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叱られると恐怖感に襲われる
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最終的に褒められても伸びなくなる
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何だかんだで、褒めて伸ばすのは有効なのでは
叱られると恐怖感に襲われる
仕事とか部活、勉強など、叱られると恐怖感に襲われるんですよね。
失敗する→叱られる(怒られる)→失敗出来ないと思い込む→叱られる(怒られる)のが嫌、もしくは出来るようにならないといけないと勝手に神経張り詰めてパニック起こす→やっぱり失敗して叱られる(怒られる)→モチベーション低下
なので、最初っからやらない方がいいやとかになってやる気ガタ落ちというダメ人間の出来上がりです。
無論、私です!
今もそうですが、ただビクビクして、わからないことを聞けなくなったり、うまくコミュニケーションも取れなくなりますしね。
だからといって、怒ることや注意することが不要だとは言いませんよ。
大きなミスをすれば、自分や教育者だけでなく、周りにも大きな被害が出るのは確かですし。
怒られて潰れた人が去ることになっても、その後に替わりの人間って来ることは来ますからね。それでも、去った人に対する労力が無駄になることは確かです。
それを見越して、人員に余裕を確保しておくのが組織の仕事ではあるんですが。
というか、自分が関係なかったとしても、別の人が怒られたり注意されてるのを見るのもあまり良い気分ではないですねえ。勿論、注意された人に非があったとしてもです。
今の職場でも、私より数ヶ月早く入った先輩がいらっしゃるのですが、その方も、注意されていたり怒られているのを見かけます。
私も、明日は我が身かと思うと、怖くなってきますねえ。
仕事って、1人で完結するものではなく、連携を取りながらやらないといけないわけなので、仕方ない点はあるのですが。
やはり、ミスすると怒られること、ちょっとしたことですぐパニック起こす私の性格を考えると、後数十年間働くことに対する恐怖感が無くならないとなると、死にたくなるのは確かです。
最終的に褒められても伸びなくなる
叱られらり怒られるということは、自己肯定感がどんどん削られていきます。
中には「何くそー」なり「次は~しよう」とか対策を考える人もいらっしゃるでしょうが。でも本来それが普通か...。
私の場合、それにはなれないんですよね。叱られたり怒られたりすると、怒ってきた人に対する恐怖感なり、自分は何もやってもダメなやつなんだという気持ちでいっぱいになってしまうのです。
そんなわけだから、褒められたとしてもピンと来なくなってしまうんですよ。
もしかしたら、仕事以前に、幼少期や学生時代のことも影響しているかもしれません。
幼少期は、ほぼ毎日のように叱られて過ごした記憶があります。どういう風に叱られたかは記憶にないのですが。
そんなわけだから、両親に自分の気持ちを開示しきれないところはあるかもしれません。
親とかにかかわらず、やればできるとか、お前はもっとできるだろと言われても、モチベーションに繋がりません。むしろ、嫌悪感すら感じるのです。
自己肯定感の低い人間、自己肯定感がマイナスな故に他人に気を使われたり親切にされたり好意を表明されると、メンタルが良くならずに「迷惑じゃない?面倒臭がってる?あっ上手く謝意を表せなかった、自分感じ悪い?」と逆に病んでしまうの、完全に回復アイテムでダメージを受けるゾンビ状態なんだよな
— rei (@rei10830349) October 14, 2019
上記のこのツイートではないんですが、高評価を得ても、気を使われているだけなのではとか、皮肉を言われているだけなのではとか感じてしまうのです。
本当は、それすら気づいてないで、私自身、ただ調子に乗っているだけなのではとかも考えてしまいます。
それで、痛い目見たりとか、最初は優しくしてくれた先輩からも厳しい目で見られるようになってしまったこともあるので。
何だかんだで、褒めて伸ばすのは有効なのでは
やっぱり、褒めて伸ばすというのは有効なのでは感じます。正確に言えば、褒めることで潰れるのを避けられるというのが正しいかな。
怒られたり叱られて潰れるような人って、自己肯定感がゼロを通り越してマイナスなのは確かです。
会社って、慈善事業ではないので、そこまで余裕がないのが残酷なところではありますが。
社会不適合者だと自分で感じる人は、会社以外で承認欲求を満たせる環境を探すのが第一なのかもしれませんね。
一般的には、「社会」という言葉は、会社で働いている人のみを指しています。本来の「社会」という意味は、人が複数いればその環境を指すんですよね。
会社はもちろんですが、
- 家族や親戚関係
- 学校のクラス
- 地元の仲良しグループ
- オフ会で定期的にあっている仲間
- 地域のつながり
- ダメ人間同士の吹き溜まり的な環境
- 飲み屋でいつも会う人のグループ
というのも社会になるんですよ。
だから、「社会人」という言葉も、人が複数いる環境の構成員なら、
会社に勤めていようがいまいが
- ホームレスや日雇い仕事をしている人
- 赤ちゃんなど働いていない人
も当てはまるのです。
だから、人間は産まれてから死ぬまでみんな「社会人」なのです。
余程のことがなれけば、どこか適合する社会が見つかるはずなんですよね。自己肯定感のマイナス補正かかりまくりの人はその社会を見つけることを考えましょう。
といっても、私自身、その余程のことがなければ、「余程」の方に入りそうな気がするので、怖いのですが。