昨日1月6日に、新宿で首つり自殺をした人がいたとのことでした。
Twitter見ていると色々な考え方があるようですね。私も、それに関して考えてみようかなと思います。
目次
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休み明け初日というのが闇を感じる
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何だかんだでいつの時代も野次馬っているよなあ
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もしその場に私がいたらどうするか
休み明け初日というのが闇を感じる
昨日、1月6日は月曜日でしたね。シフト制やサービス業のように休みが不規則ではない人にとっては、連休明けで仕事始めの方も多いでしょう。
月曜日だと、有給休暇も取らない限り月火水木金の5連勤は確定ですね。
- 仕事がらみの人間関係
- プレッシャー
- 満員電車
5日間インターバルなしに、上記のようなストレスに襲われるんです。死にたくなるのも無理ないですよね。休み明け初日から「9時から18時の8時間」は束縛されるわけですし。
休みが長く続けば、その明けはきつくて死にたくもなりますよ。というか、仕事のせいでマヒしていた精神が通常に戻って、仕事が嫌だという気持ちを思い出してしまったんでしょうね。
今回の自殺でお亡くなりになった方の年齢は30代とのことでした。仮に、就職しているとして、恐らくではありますが、
- 仕事が嫌だ
- 嫌な仕事を続けないといけなくて精神病んでしまった
- 辞めたくても辞めれない
- 辞めたとしても、次の仕事が見つかる保証がない
- 仮に見つかったとしても、嫌にならない保証がない
- その嫌なことをあと数十年続けないといけない
- だったら、死んでしまえば良い
という考えに至ってしまい、逝ってしまったのでしょうね。あくまで、私の仮説でしかありませんが。
本当の原因はどうかわかりませんが、個人的には亡くなってしまった人を責めることはできないです。
だって、私も現在進行形で、死にたいという気持ちを抱えて仕事をしているわけですし。
ぶっちゃけ、私だって、死ねるなら即効で死んでしまいたいですし。
仕事のことは言うまでもありませんが、それを抜きにしても生きることが嫌になる要素が多すぎますしね。
- いつ来るかわからない大地震
- 人間関係のトラブル(仕事関係はもちろん、家族がらみも含めて)
- 老後への恐怖
- 年々衰える体力や精神力
- 止まらぬ増税
- 増税のあおりを受けて高まる物価
- 体力が衰えたからといって死ねるわけじゃない
- 人生100年時代というなぶり殺し
- 生きているだけで、何かの病気に襲われる
上記のこれらの内容を考えれば、楽に早く死ねるならそれが一番幸せなのではないかと思うのです。というか、産まれないことが一番幸せなんじゃないっすかね。マジで。
幸い、私は結婚の予定がないですし、それ故に子どもを持つ予定はないので、そこはラッキーですね。先ほどの項目に加えて、
- 学校
- 受験勉強
- 就職活動
- 親目線では、上手くいかない子育てにストレスをため込む(これ、完全に毒親の考えだわ)
これらの地獄も加わるのです。私の幼少期や学生時代の経験を考えたら、私自身が子供を持つなんて、業が深すぎます!
- コミュ障
- 気弱ないじめられっ子気質
- 要領悪い
- 真面目であるがゆえに、集団では貧乏くじを引かされる
- 集団で上手くやれないくせに、個人で何かをする行動力はない
私のこれらの性格を引き継いだら、ハードモードにも程がありますわ。私の現在の資産を配慮すると、私の子ども時代より、子育てにかけられるお金も少なくなるのは言うまでもありません。
お金がないがゆえに、さらなるハードモードな生き方をさせるって、産んだことを子供に恨まれますわ。
なので、子どもを持つなんてできないですし、出来ても持ちたくないですね!
脱線しすぎてしまいましたが、連休中に封じこめてた闇が爆発してしまったんでしょうね。
何だかんだでいつの時代も野次馬っているよなあ
自殺の現場を、写真に撮ってSNSに挙げるなどしている野次馬がいたようです。これって、いつの時代も似たような野次馬がいるよなあと思います。現在は、ネットに挙げるというパターンでしたが。
- 10年前なら、携帯で写真を撮って、友人とメールでやり取りするなり、mixiの身内だけのコミュニティでのコミュニケーションに使う
- 携帯を使わなくても、マスコミが自殺の現場で、インタビューをする
- 自殺者の実家にFAXを送る
- 処刑台で殺されている処刑人を見に行く
- 火事が起ころうものなら、火事の現場を見に行く
という風に、様々な野次馬のパターンがあるわけです。もしかしたら、「自分が当事者になるかもしれない」という考えは思い浮かべることなく。
だから、最近の人はモラルがないとかいう視点は誤っているのかなあと。
先ほど挙げた処刑台にて死刑にされる処刑人の件は、ベルサイユのばらとかの時代ですからねえ。根本的に人間の考えっていつの時代も変わらないのかもです。
対岸の火事というやつなんでしょうねえ...
もしその場に私がいたらどうするか
もしあの場に私がいたらどうしていたんでしょうねえ。恐らく、ただ唖然と見ていることしかできなかったでしょう。そもそも、首つり自殺の現場なんて見る機会あるもんじゃありませんし。訳も分からず、傍観者になっていたと思います。
少なくとも、自殺しようとしている人を止めることはできないなあと。最近は、自殺しようとしている人を止めて、命を救ったとか美談にしているニュースは少なくないですがね。
あれ、個人的には美談にするのは違うなあと感じるのです。
- 本人からすれば、死ぬことが一番の救いだった
- 下手に生き残ったがゆえに、苦しんで残りの人生を生きないといけない
- 目先の命を救っても、その後のアフターケアは出来ない
- アフターケアをしようにも、こちらもそれどころじゃなくなる
- というか、自殺を止めたことを恨まれる恐れがある
自殺はダメそうは言うが誰も自殺しようとした人を救ってはくれない。
そこでアクシズ教、アクシズ教は貴方を救ってくれます。まずは教義を口に出して読んでみましょう。
#首吊り自殺 pic.twitter.com/RsGiDbm4ib— イル (@iruNo17_YP) January 6, 2020
上記のツイート見ていると、極論を述べてしまうと、嫌なことを我慢して生きていても、今後の人生が良くなる保障ってないんですよねえ。
「生きていれば良いことある」という言葉がいかに無責任な発言かがわかります。死にたいという気持ちを止めたいのなら、少なくともその気持ちに共感する必要があるのかなあと思うのです。
それでも生きていかないといけないのが厳しい所で、問題解決の方法を考えないといけないんですよね。そこまでのエネルギーがないので、死にたいという気持ちを抱えている時点で問題解決のために動く前の問題なのかなあと。
私も、一歩間違えれば同じ境遇になっていたと思うと他人事じゃないなあと思うのです。亡くなった方のご冥福をお祈りいたします。
私も、自殺願望とまで行かなくても希死念慮がある身なので...